2006年04月03日

「太陽の雫」と、大きな戦争小さな戦争

冒頭の爆発のシーンで心臓をぎゅっと握られた後、
ひたひたと進む時間の小波が、やがて大きくうねり出して嵐になり、
そして一瞬凪いだと思わせて、また怪しい渦巻きが顔を覗かせて、
…最後は陽だまりの中さらさらと流れる小川へと。
その将来はきっと大海へと続くのだろう。(<My作品イメージ)

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解説(goo映画)
激動のハンガリー史の荒波にもまれたユダヤ人一族の盛衰を三世代にわたって描いた壮大な叙事詩。監督・脚本は「ミーティング・ヴィーナス」のイシュトヴァーン・サボー。撮影は「マレーナ」のラヨシュ・コルタイ。音楽は「雲の中で散歩」のモーリス・ジャール。出演は「オネーギンの恋文」のレイフ・ファインズ、「スパイダーマン」のローズマリー・ハリス、「ハムナプトラ」シリーズのレイチェル・ワイズ、「ザ・ハリケーン」のデボラ・カーラ・アンガー、「A.I.」のウィリアム・ハートほか。1999年ヨーロッパ映画祭主演男優賞、撮影賞、脚本賞受賞。

ハンガリーに住むユダヤ人一族の話なんで確かに重い映画なんだけど、淡々と進む画面とストーリーに引き込まれて途中時計を見る様なことは皆無だった。主演のレイフ・ファインズが三世代(祖父・父・主人公、というか語り手)を全て演じているんだけど、全く違う人に見えるのが秀逸(笑)兎に角「濃密」、内容が凄く濃い!見応えは俺が保障する♪



こういう映画を見ると色々考えてしまう。

誰もが理性と良心に従って考えれば有り得ない事なのに、なぜ人は迎合し合うとコンプレックスや虚栄心から「スケープゴート」を仕立て上げて残酷に排除してしまうのだろう。喜んで迎合した集団の中で目を光らせて同胞を見張りあう様になってしまうのだろう。

「在るから在る」、だけではダメなのだろうか。


戦争の最中でなくても、ほんの直ぐ傍ですれ違う沢山の他人の中、ある人は「好みでない」という主観的なエゴから他者を不必要に見下して蔑み、ある人は自分すら騙して本当なら望まない集団に属していながら、心を壊して閉じこもってしまう。

確かに自己を強く生きる事は、生きていく上で大切な事ではある。だが、欲を満たすだけの為に自己を人に押し付けているのでは、それは強い自己を生きるという事とはかなり違う。逆に弱い自己を補う為だけに強い力に寄り添って付き従って生きるのも違う。ただの自己愛とは違うのだ。

「人は誰か他人を犠牲にして生きている」、と何かに書いてあった。
それは確かに正論で、実際に現実はそういうものだと思う。
しかし、其の犠牲の上に胡坐をかいて開き直るだけ、では酷く醜い。
他人を犠牲にしている事を忘れて悦に入って踊るだけ、では酷く汚い。

自分の目を信じ、且つ疑いながら、自分が生きる為に相手も生かす。
これは俺の中の一つの理想で、実際には中々適わない事だけれど、日々律していかなくては、と考える事。(心の中ぐらいは好きにさせてwとかも云ってみるけども。)

何をするにしても一つ事ばかりに捉われず、
広い視野で納得できる自分を生きていたい。
理想ばかりを追うのは夢物語かもしれない。
夢を追うばかりでは暴走するかもしれないが、
夢を見ないで前進は有り得ない。

妬み、嫉み、孤独の不安、暴力への恐怖、虚栄心、色々あるが…
そんな自分を曝け出して行動に移して誰かを傷付けるのは醜い。

極端な自己愛の暴走が戦争、なのだろうか。
それなら一見平和に見える風景のなかにも小さな戦争が彼方此方で渦を巻いて汚濁を撒き散らしている様に思える。

つらつら書いていたら何となくオチたのでこのままうp。
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posted by 加賀 at 03:28 | Comment(1) | TrackBack(0) | DVD
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